ジョセフ、スミスの見神録、、、(22)

私の父の暮らし向きは非常に窮屈であったので私達は必要に迫られた自分の手で働き、機会ある毎に日雇いの仕事や其の他で雇われて働いた、私達は或る時は家で働き、又或る時は外で働き、絶え間なく働く事で不自由の無い生活をする事が出来た、1823年に父の家族は私の長兄アルビンの死に依って酷い苦難に遭った、1825年10月に私はニューヨーク州シェナンゴ郡に住むジョサイア、ストールと言う名の老紳士に雇われた、彼はペンシルベニア州サスケハナ郡ハーモニーでスペイン人に依って開かれた銀山の事を聞き、私を雇い入れるに先立ち、出来れば其の銀山を発見し様として試掘を行っていた、私が行って彼と共に生活する様に成ってから、彼は他の使用人達と共に私を伴って、其の銀山を探す試掘に当らせた、私は其処で一ヶ月程働き続けたが私達の仕事は旨く行かなかった、其れで遂に私は其の老紳士を説き伏せて其の試掘を止めさせた、此の事から私が山師で在ったと言う話が広く言われる様に成ったので有る、

私は此の様に雇われて居た間、其の地のアイザック、へイルと言う人の家に下宿して居た、私がヘイル氏の娘である私の妻エマ、ヘイルに初めて会ったのは其処での事であった、1827年1月18日私が未だストール氏に雇われて働いて居た時に私達は結婚した、私が示現を見たと主張し続けたので、私に対する迫害は尚も続き、妻の父の家族は私達が結婚する事に酷く反対した、従って私は彼女を何処か他所に連れて行く他無かった、其れで私達は出掛けて行き、ニューヨーク州シェナンゴ郡サウスベインブリッジのタービル治安判事の家で結婚した、私は結婚後直ぐにストール氏の元を去り、私の父の家に帰って其の季節は父と共に農業に従事した、、、と有ります、。