ジョセフ、スミスの見神録、、、(24)

しかしながら、騒ぎは尚も続き、父の家族に付いて、又私自身に付いて偽りを言い広める為に常におびただしい噂が流された、もし私が其の千分の一を述べたとしても何もの本にも成るであろう、しかし、迫害が耐えられ無い程に成ったので、私は止むを得ずマンチェスターを離れて、妻と共にペンシルベニア州サスケハナ郡へ行く事にした、私達は非常に貧しく迫害が酷い為に貧しさから抜け出せず、苦難の只中で出発の準備をして居た時、マーティン、ハリスと言う名の紳士と親しく成った、彼は私の所に来ると、私達の旅の助けに成る様にと50ドルくれた、ハリス氏はニューヨーク州ウェイン郡パルマイラ町に住んで居る人で社会的地位のある農場主であった、

此の時宜に適った援助に依って私はペンシルベニアの目的地に着く事が出来た、そして其処に着くと直ぐに私は版から文字を写し取る事を始めた、私は可なりの文字を写し取り、ウリムとトンミムに依って其れ等の多くを翻訳した、此れを行ったのは12月に妻の父の家に着いてから翌年の2月迄の間の事であった、、、と有ります、。