ジョセフ、スミスの記録、、、(シオン)49、

其の時に、キリストは汚れの無い状態で王国を御父に引渡し、其れを捧げて、私は勝利を得て、独りで酒舟を、即ち全能の神の激しい怒りの酒舟を踏みました、と言われる、

其の後、キリストは栄光の冠を受け、其の力の御座に着いて永久に何時迄も治められる、

しかし見よ、見よ、私達は星の栄えの世界の栄光と共に其処に住む者と、彼等が天の大空の星の様に、或いは、海辺の砂の様に、数限り無いのを目にし、又主の声が告げられるのを聞いた、此れ等総ての者は膝を屈め、総ての舌が、永久に何時までも御座に着いて居る者に告白するであろう、

彼等は其の行いに応じて裁かれ、総ての人は自分の行ないに応じて、用意されて居る住いにおいて自分の領域を受けるであろう、彼等はいと高き方の僕である、しかし、神とキリストの住む所には、世々限りなく、来る事が出来ない、

此れで私達が見た示現は終わり、私達は未だ御霊に感じて居る間に、此れを書き記す様に命じられた、

しかし、主の業と、主が私達に示して下さった主の王国の奥義は、大いなる驚くべき物であり、栄光において、威勢において、支配において、総ての理解を超えている、主は私達に、私達が未だ御霊に感じている間に、此れ等を書き記しては成らないと命じられた、此れ等は、人が語る事を許されない物である、又、人には此れ等を知らせる能力も無い、此れ等は、神を愛し、神の前に自らを清くする者に神が授けて下さる聖なる御霊の力によってのみ、目にし、理解する事の出来る物だからである、神は此れ等の者に自分で見て知る此の特権を授けられる、其れは、御霊の力と現われによって、彼等が肉体に在って栄光の世界における神の臨在に堪える事が出来る為である、

神と子羊に、永久に何時までも、栄光と誉れと支配が有ります様に、アーメン、、、と有ります、。教義と聖約。