預言者の言葉、、、(示現)24、

更に又、其の先例として、マタイによる福音書が有ります、其処で、私も貴方に言う、貴方はペテロである、そして、私は此の岩の上に私の教会を建てよう、地獄の門も其れに打ち勝つ事は無い、私は、貴方に天の王国の鍵を授けよう、そして、貴方が地上で繋ぐ事は何でも天で繋がれ、貴方が地上で解く事は何でも天で解かれるであろう、

さて、此の事柄全体の偉大且つ重要な真義と、私達の前にある事項全体の最高善は、聖なる神権の力を得る事に有るのです、此れ等の鍵を授けられる者にとって、人の子等の救い、即ち、死者と生者の両方の救いに関して、数々の事実を知る事は少しも難しい事では有りません、

此処に、即ち水によるバプテスマの儀式、すなわち死者の有様に応じる為に水に沈められる事に、栄光と誉れ、及び不死不滅と永遠の命が有ります、死者の有様に添って水中に沈められるのは、一つの原則が他の原則に一致する為です、水中に沈められ、そして、水から出て来る事は、墓から出て来る死者の復活に似ています、従って、此の儀式は死者の有様に似ているので、死者の為のバプテスマの儀式と関連する様に制定されたのです、

其の結果、バプテスマフオントは墓に似た物として設けられ、生者が何時も集まる場所の下に在る様にと命じられました、其れによって、生者と死者を表す為、又総ての事に類似する物が在る様にする為、又其れ等が互いに一致する為、即ちコリント人への手紙でパウロが述べている様に、地に属する物が天に属する物に一致する為なのです、

最初に有った物は、霊の物では無く、肉の物であって、其の後に霊の物が来るのである、第一の人は地から出て土に属し、第ニの人は天から来る主である、土に属する人々は、土に属する人の様であり、天に属する人々は、天に属する人の様である、そして、天の記録は、正しく作られる貴方達の死者に関する地上の記録に似ています、従って、此れは結び固め、且つ、繋ぐ力であり、ある意味では、知識の鍵から成る王国の鍵なのです、、、と有ります、。教義と聖約。