イスラエルの旗(続き)

何故貴方方は、私の言葉がもっと多く与えられるからと言って呟くのか、二つの国民の証が、私が神で有る事と、一つの国民をもう一つの国民と同じ様に覚えて居る事の、貴方方への証拠と成る事を知らないのか、私は一つの国民に語るのと同じ言葉を別の国民にも語る、そして、其の二つの国民が合わせられる時、二つの国民の証も合わせられるので有る、私が此れを行なうのは、私が昨日も今日も、又永久に変わら無い事と、私自身の望む侭に私の言葉を語ると言う事を、多くの人に証明する為で有る、従って私が一言語ったので、もう一言も語れ無いと思っては成らない、私の業は未だ終って居無いからである、私の業は人の存在が尽きる迄終らないし、其の後永久に終わりが無いので有る、其れ故、聖書を持って居るからと言って私の言葉が総て其処に含まれて居ると思っては成らない、又、私がもっと大切な事を書き記させなかったと思っても成らない、私は、東の地、西の地、北の地、南の地又海の島々に居る総ての者に、私の語る言葉を書き記す様に命じるからで有る、私は書き記された数々の書に依って世のあらゆる人を、書き記されている事に従い、彼等の行いに応じて裁く、

見よ、私がユダヤ人に語れば、彼等は其れを書き記し、ニーファイ人に語れば、彼等は其れを書き記す、又、私が連れ出したイスラエルの家の他の部族に語れば、彼等も其れを書き記す、更に私が地の総ての国民に語れば、彼等は其れを書き記す、そしてユダヤ人はニーファイ人の言葉を得て、ニーファイ人はユダヤ人の言葉を得る、又、ニーファイ人とユダヤ人は、イスラエルの行方の知れ無い部族の言葉を得て、イスラエルの行方の知れ無い部族は、ニーファイ人とユダヤ人の言葉を得る、そして、イスラエルの家に属する私の民は、彼等の所有の地に集め戻され、私の言葉も一つに集められる、こうして、私が神で在る事と、私がアブラハムに彼の子孫を永久に覚えると聖約を立てた事とを、私の言葉とイスラエルの家に属する私の民に逆らって戦う者達に示そう、とあります、。